渋川伝次郎

戦後復興の祖と言われ、財団法人青森県りんご協会を創設した人である。
黒石市の大農の次男に産まれ、大規模なりんご経営をしていたが、実家の没落とともに離農し農業試験場の技師となる。
復員後は県農業会の筆頭職員として勤務していたが、戦争によって荒れ果てたりんご園の復興には「余り拘束されざる外郭団体の設置の要あり」と説かれ、青森県りんご協会の創立のため奔走して、短期間に行政・農業会・生産者をまとめた。
りんご協会が財政危機に陥った一時期専務理事をつとめたが、ほとんどは野にあって生産者に大号令をかけ、行政に提言をした。
常に生産者を叱咤激励した先生には、多くの語録が残っている。
我が家にも「創造無限」という色紙が飾れているし、「ゆっくりいそげ」との書もある。
現在の経営でも先生の語録から教えられることが多い。
平成3年に94歳で没したが、青森県りんご協会では先生の遺徳を忍ぶため「渋川伝次郎賞」を創設し、りんご産業のために努力した生産者を表彰している。

私がりんご協会活動に関わったときは、先生の引退後だったので、直接は師事を受けていない。
ただ先生は私に対して言われたことは「戦争のない世の中を造れ」だった。あの爆弾の下を潜るようなことは、二度としてはならないと言われた。
私が農業の現状を嘆いたとき、後日封書で助言をいただいた。
その中には、軍隊での闘いの方法が書いてあり、「今は籠城守戦だ」と書いていた。
これには「ねばり強く志気を蓄え、攻撃転移の機会をねらおう」と注釈がついていた。