輸入解禁の動き


りんごは昭和46年に自由化されている。
しかし我が国に生息しない病害虫の侵入を防ぐため、植物防疫法によって輸入されなかった。
生産者も輸入はされないものと思っていた。

それが平成4年病害虫の完全駆除ができるからと言うことで、輸入が解禁された。
生産者にとっては「寝耳に水」であった。
それから、生産者も必死に学習をし、多くの矛盾を持って公聴会に出席した。しかし、すでに解禁が前提であるかのような公聴会に怒りが爆発した。
画像はニュージーランド産りんご解禁に伴う公聴会の混乱の様子である。

生産者の抵抗もむなしく、平成5年6月ニュージーランド産りんごの輸入解禁が公示された。

生産者のショックもさめない、平成5年7月にアメリカ産りんご解禁の公聴会があり、同8月に解禁された。

平成5年5月にはニュージーランドから235トンのりんごの輸入があった。
平成6年1月にはアメリカから4,000トンの輸入があり、翌年には9,000トンの輸入があった。
しかし我が国の消費者の支持を得ることができず、平成9年にはアメリカ産りんごはついに輸入がゼロとなった。

この間にも、フランス産の解禁が平成9年にあった。
平成9年にはオーストラリア・タスマニア州の解禁の公聴会もあったが、公聴会終了後にオーストラリア本土に、我が国に発生していない火傷病が発見され、解禁は、一時凍結された。我が国以上に検疫の厳しいオーストラリアの火傷病発生に、検疫のより以上の大切さを感じた。

また、アメリカが我が国の植物検疫は輸入障壁だと、ガットのパネル裁定に二度にわたって持ち込んでいる。
玉虫色の裁定になったが、我が国は植物防疫法の改正をしている。
全てがアメリカの言いなりの状況に独立国としての資質を疑問視している。

生産者は何よりも、病害虫の侵入をおそれている。
今までも多くの侵入病害虫が、島国我が国の生産環境を汚染している。これ以上侵入病害虫の汚染は生産環境を大きく損なう。
そのためには、あらゆる困難を排除しても、今後も反対を続けていくだろう。