雑談の効用

 

  東奥日報2023年6月25日付「人間関係は雑談から」という記事があった。

  私は、「雑談」の効用は計り知れないと考えている。そこには色んなヒントが潜んでいると考えられるからだ。中でも家庭内雑談は潤滑油の役割を果たし、とても重要なものと考えている。
  しかし、「雑談」は言うほど簡単ではない。伝統的に「雑談」は用のない話と評価されてきた歴史があるからだ。「男はべらべら喋るものではない」という歴史である。
  加えて、共稼ぎが常態化し、親はゆとりを失い「雑談」どころではないのかも知れない。その反動として指示・強制が多様化していると見ている。
  国民はコロナ禍で疲弊。この生活の難局を「雑談」で乗り越えたいものだ。その際、ユーモアが登場すれば家庭内はより一層明るくなるに違いない。
  1996年ニューヨーク市を訪問した際、高層ビルの入り口で数人がたばこを吸う光景を見かけた。現地の日本人通訳者から聞かされた。そこでの雑談が発想のヒントになるというのだ。

 以 上