暴力教師


  生徒を叩くと手が痛いと誇らしげに語る中学校教員に出会った。これは理由を問わず止めた方がいい。叩いた側が忘れても叩かれた側は忘れないからだ。
  しかも、暴力でもって相手を畏怖させ自分の意向に従わせようとする意図が明らかであるからだ。これは指導技術の未熟さを宣言しているに等しい。
  思い出すのは中学2年(1953年)の体育の時間である。教員に生徒全員の前で叩かれたことがある。教員に対してカラ口を言い放った為である。
  ところが、「事実は変わらないが、評価は変えられる」。カラ口を言い放ったことは忘れ叩かれたことは忘れない。しかも、生徒全員の前で。これは指導ではない。明らかに「見せしめ」である。教員は国体相撲競技大会に出場したというから、手は凶器に等しい。改めて、怒りと憎しみを覚える。
  確かに、当時の保護者は教員の暴力を肯定的に捉えていた節がある。しかし、時代は変わり、暴力は社会の悪であるという考え方が定着している。
  小学校授業で見かける「立たせる」行為。これも止めた方がいい。手段は違うが「辱め」を与え、自分の意向に従わせようとする底意は共通するからだ。これも暴力同様、指導技術の未熟さを宣言しているに等しい。
  今、教員に求められているのはより一層指導技術を高めることである。子どもに寄り添う力である。