東京パラリンピック聴覚障がい者の活躍は伝わってこない?
東京パラリンピック、アスリート達は共生社会の実現を口々に訴えていた。
共生社会とは、障がいのある人もない人も、支える人と支えを受ける人に分かれることなく共に支え合い、様々な人々の能力が発揮されている活力ある社会をいう。
ところが、「共生社会」の実現は簡単ではない、と指摘するのは日本財団パラリンピックサポートセンター理事長小倉和夫である。着目したのは、次の一文である(東奥日報紙9月7日付「解読パラリンピック」より)。
「選手達は能力と努力で障がいを克服して良い成績を残した。しかし、それだけを過剰に評価することは『障がいは個人の能力と努力で乗り越えられる』という考えに繋がりかねない。結果的に、障がいは社会全体で克服すべき課題だという側面が薄れてしまうかも知れない」。
確かに、その不安は募る。「今だけ、金だけ、自分だけ」良ければいいという考えが蔓延していては尚更である。
しかし、日本社会は平均的男性を想定してデザインされている。とすれば、障がいは社会全体で克服しなければならない課題であることは明かである。
「共生社会」の実現を理念とする東京パラリンピック、聴覚障がい者の活躍が伝わってこない。なぜだろうか。