「公平感」「情」軸に歩みたい
(東奥日報新聞「明鏡欄」掲載:2021.10.5)
80歳。確かに、自由に使える時間は十分である。これに知見と学習が加わればより一層自由度が高まる気がする。しかし、身体のあちこちに疲労が起こり、薬の種類は増えるばかりである。加えて、大義病。一方、新型コロナウイルスの影響もあろうか、「今だけ、金だけ、自分だけ」がよければいいという風潮が蔓延。その結果、個性とか、思いやり、優しさ、寄り添うという側面が後退している気がしてならない。
しかし、何が正しいか分からない時代である。内面的価値は増すばかりである。金銭や受験学力で身に付く代物ではない。しかも人工知能(AI)やロボットも代替え出来ない。私は、人様に迷惑をかけかけし80年生きてきた。これは謙遜ではない。裏返せば、自由奔放とわがまま紙一重である。「事実は変えられないが、評価は変えられる」。より一層自由度を高め内面的価値を重視、人を励まし、弱者へ寄り添う。また、理不尽なことには果敢に戦う。そんな重いが募るばかりだ。
「個にして弧ならず」である。これからも、大義病と対峙しながら「公平」と「情」の大切さを軸に100歳時代を生きたい。その為に、ボケてはいられない。それもこれも妻の健康が前提である。