子ども達による「ゴミ拾い」
「今だけ、金だけ、自分だけ」が良ければいい。コロナ禍で一段と顕在化してきた。
そんな中、聾学校の子ども達による「ゴミ拾い」の話題がテレビで取り上げられていた。私の孫は聾学校高等部2年生。久々に学校へ迎えに行った際、校長から「ゴミ拾い」の話題を直接聞いた。
生徒会が自発的に実施したという。子ども達の「主体性」に校長の喜び様はひとしおであった。これは「今だけ、金だけ、自分だけ」が良ければいい。という発想とは真逆である。
以下は、中邑賢龍著「どの子も違う」からの引用である。
「子どもの特性を無視し、無理に周辺の事情に合わせようとすれば、子は苦しみ、暴れ、無気力になったりして結果として親も悩む様になります」
また、「見守っていれば、自分の力で子どもは動き始めます。私たちはそこに寄り添えばいいだけなのです」
聾学校の子ども達の「ゴミ拾い」の話題を通じて著者の指摘に共鳴した。