人生適当でいい

  人生適当でいい。ちゃんと生きなくてもいい。最近、この様な文脈に出会った。私はこの文脈に共感した。
  ところが、話はそう簡単ではない。親や社会に従順に対応してきた人は自由奔放に生きる魅力を知らないからだ。
  その結果、記述した文脈について親は子に、祖父母が孫に否定的に伝えようとする。あたかもそれが普通、多数派であるが如く。そして、没個性を好み個性派を敵視する傾向が強い。加えて、自分の価値観を子どもに押しつける傾向が強い。この構図が子どもの個性を潰し、悲劇を生む主因であるとみている。
  しかも、この手の人は他人の力を借りる力が弱く問題を一人で抱え込む傾向がある。これが早期発見早期治療を阻む。悔やまれる。
  私は、「自分は自分で良いんだ」と考え、他人と比較しない。他人の評価は評価する人によってまちまちであるから評価に一喜一憂しない。また、多様性認める精神や自己肯定感は重要と考え、個性を幸せの礎と考えている。しかし、日本の社会風土ではまだまだ少数派に属する。
  最後になった。子ども達よ、自分を追い詰めるな。親はじめ、周りの人の期待に応えようとするな。全ては真の穏やかな自由を手に入れるためである。いわんや、体調を崩しては元も子もない。誰のための人生か分からない。