権利主張する人はわがままか
権利主張する人は「わがまま」である。若者自身が、また健常者が障がい者に対して主張する記述に出会った。
思うに、憲法とは国家権力を制限し、国民の権利や自由を守るものである、と理解する。そして、人権が制限を受けるのは相手の人権と衝突する場合のみである。とすれば、権利の主張は憲法の法意に合致、「素直な行為」である。
ではなぜ、その様な主張をするのだろう。若者自身の主張としては聞いたことがなかった。だが、侮れない。彼等は民主主義の前提である批判精神を批判、集団主義、同調圧力を好むからだ。これは民主主義後退の源泉であることを忘れてはなるまい。
健常者が障がい者に対して主張する場合、これは「差別」である。憲法で保障する権利は障害の有無で区別してはいないからだ。
また、障がい者が不自由な生活を強いられているのは、健常者が構築したフィールドを強いられているからである。この認識が欠落している。
さらに、「何時自分も弱者にまわるかも知れない」という発想に立てない。
障がい者の権利主張は「わがまま」ではなく、当たり前の行為なのだ。
恩恵的な発想、哀れみを施す発想が維持できているうちは良い。ところが、一転権利として主張されると「嫌悪感」に支配されてしまう。マウンティング的思考そのものである。これは、他人と比較しないと自分に自信を持てない人間の悲劇である。