国際社会が注視している
「性差別を国際社会が注視している」。と、居丈高に語る東京五輪・パラリンピック主催都市の知事。しかし、国際社会が注視している性差別の具体的内容は明らかでない。
オリンピック精神は、いかなる差別も禁じる。中国には、新 ウイグル自治区におけるジェノサイド(民族・文化的な差異による大量虐殺)という最も深刻な人権問題が存在するというのだ。
仮に、22年の北京オリンピックに日本が選手を送り込むとすれば、「女性蔑視」発言に端をはした森喜朗東京五輪・パラリンピック組織委員会会長辞任と整合性がとれない。
とすれば、性差別に対する評価が相反し、性差別に関する取り扱いが「公平」でないことは明らかである。公平性は生活関係の重要な指導原理である。
22年の北京オリンピックに、日本が選手を送り込む決定をした瞬間、森良朗東京五輪・パラリンピック組織委員会会長に対するパッシングの公平性が崩れる。その際、一体誰が、誰に対して、どの様な責任をとるのだろうか。
まさに、「女性蔑視」発言を国際社会が注視している。同時に、積極的に一歩前へ踏み出し、これはおかしい、と言おうとしない日本人気質。これにも注視しているに違いない。