「不公平」にもっと敏感に

(東奥日報新聞「明鏡欄」掲載:2021.3.11)

  昨今、「蔑視」が話題になっている。蔑視とは、相手をばかにすることである。これは人権侵害である。これを良しとするものは一人もいない。しかも、「蔑視」は何も女性に限らない。一方、私たち(市民)の普段の生活について定める「民法」の重要な考え方に「公平」という概念がある。ところが、同じ人権侵害である「不公平」が話題になることが少ない。
  不公平とは、二つ以上のものに対する対応や取り扱いに差があることをいう。これは日常、平穏な生活を送るには見逃せないからである。部活、地域クラブ、町内会などで「不公平」な取り扱いがなされていないか、常に確認することは重要と考える。私の孫は聾学校へ通学する高等部一年生。健常者として生きるか、聴覚障がい者として生きるか。これは全くの偶然である。ところが、健常者用のフィールドを聴覚障がい者に使用させ「かわいそう」。人の能力を障害の有無によって評価する理不尽さ。構図は根深い。
  そんな中、青空に誘われ孫と一緒に新青森陸上競技場でウォーキング(孫はランニング)をしてきた。障がい者、付き添い一名は使用量無料であった。障がい者に対する理解が嬉しかった。そして、陸上競技短距離を得意とする孫のランニング姿に新青森陸上競技場で競技する姿を想像した。