オリンピックの政治利用
東京都に東京五輪・パラリンピック開催都市の返上を望む。開催都市知事の言動がオリンピックのフェアプレーの精神に反し、民主主義を冒涜するものであるからだ。中でも国際オリンピック委員会(IOC)のトーマス・バッハ会長が今夏の東京五輪の機運を高める場として提案した4者協議会への出席拒否は見逃す訳にはいかない。
議論討論がなぜ重要なのか、都知事は良く分かっていない様だ。人間は弱い、不完全な生き物である。また、何が正しいか分からない、やってみなければ分からない。これが前提である。だから、透明性、説明責任、少数意見、反対意見の尊重など民主主義のプロセスが重視されなければならないのだ。
オリンピック憲章は、オリンビズム(近代オリンピックの創始者クーベルタンが提唱した、オリンピックのあるべき姿)の目的は、フェアプレーの精神を持って「人間の尊厳を保つことに重きを置く平和な社会の確立を奨励することにある」と規定する。人間の尊厳とは、個として「人は皆違う」。人間として「人は皆同じ」であると理解する。
コロナばかりではない。都知事の言説からとても東京五輪・パラリンピックが楽しみだ、待ち遠しいという気分にはなれない。
今、世界が注目しているのは日本におけるオリンピック精神の成熟度であり、民主主義の成熟度である。