聴覚障がい者への理解深めたい
(2021.1.19東奥日報「明鏡欄」掲載)
聴覚障がい者は暗い、何を考えているのか分からない、という声をきくことがある。確かに、暗く見られがちだと思う。それは、音声言語を使えないからである。しかし、何を考えているのか分からない、という評価については偏見を感じる。人の内心は他人には分かるはずがないからだ。そこに聴覚障がい者に対するマウンティング的思考(優生思想的な考え)が透けて見える。
そもそも、この評価は聴覚障がい者がなぜ不自由な生活が強いられているのか、という視点が欠落している。聴覚障がい者が健常者用のフィールドを強いられているからである。これは聴覚障害を語る際の原点である。とすれば、健常者側が聴覚障がい者が明るく振る舞える環境づくりに努力しているか否かが問われなければならない。
そして、聴覚障がい者の長所を見逃している。私の孫は聾学校へ通学するが、子ども達を見て感じるのは内面的価値、つまり愛情、共感、信頼等の高さである。私は、聴覚障がい者の中に健聴者が1人という構図でコミュニケーションを取った経験がある。恐怖を感じパニックに陥った。聴覚障がい者は常に逆構図を強いられているということを忘れないようにしたい。