「初球の一球」見逃さず
(東奥日報新聞「明鏡欄」掲載:2020.10.23)
中学、高校と野球をやっていた。社会人になって所属したチームは強かった。完投型、2点で抑える投手を擁していたからだ。県代表として東日本大会へ出場することもあった。私はキャッチャーをやっていた。
ちょうどその頃、大学は通信教育で学んでいた。同時に、柔道場で柔道の稽古にも励んでいた。柔道競技は相手の襟をつかんで組む。その繰り返しが手首、足腰を鍛えたのだろう。セカンドへ伸びのある送球をしていた。年に一回のスクーリング、体育は野球を選んだ。そこで出会ったのが、連覇連覇の東都野球の雄、日本大学野球部香椎監督、河内コーチであった。グラウンドで初球を投げた瞬間、監督が「どこで野球をやっていますか」と尋ねてきた。この一言が後々の人生に大きな自信となる。監督は「初球の一球」を見逃さなかったのだ。
同時に、大学野球と高校野球の違いを見せつけられた。例えば「打撃フォーム見てくれませんか」。「高校野球とは違い、それはやりません」「指導を受けたいことを具体的に提示して下さい」。また、日大野球部員が練習を開始した時、トレパン姿の選手が一人いた。私は監督に尋ねた。「ユニホームに着替えさせないんですか」。「黙っていても早晩退部するから言わない」というのだ。「達人」の目はすべて見通していたのだろう。