1800年前中国後漢時代の話
以下は、一日一言人生日記・光文書院「天知る、地知る、我知る、汝知る」からの転用である。
郡の太守楊震は、山東地方へ視察の途上、その日は昌邑という町で泊まることにした。するとその夜、宿へ昌邑役人王密が尋ねてきて、自分の出世のために賄賂の金十斤を贈ろうとした。揚震は色をなしてそれを遮った。だが、腹黒い王密はそんなことで引き下がろうはずがない。
「しかし、夜分のことで誰も知るものはございません。どうかお納めくださいまし」とおしつけようとする。楊震はたちまち大声で怒鳴った。
「バカ者!天知る、地知る、我知る、汝知る、誰も知らないとは何事だ」この大喝に王密はすごすご退散した。
これは、今から1800年前も昔の中国後漢時代の話。
いま、官民問わず、隠蔽、改竄、廃棄、言い逃れによって不都合はことはなかったことに。また、国民もその不誠実さに鈍感になってしまった幼だ。強い怒りの声を聞かない。
さて、これを知った楊震はなんと言うのだろうか。双方に大喝が入るに違いない。