「苦労人」「たたき上げ」は美談か


 菅自民党総裁の生い立ちを「苦労人」「たたき上げの人」と評価、これが美談の如くまことしやかにメディアは伝えている。確かに、伝統的に「苦労人」「たたき上げ」を評価する社会風土がある。しかし、美談に値するか否かの判断基準は、苦労した結果成長の跡が見られるか否かにかかっている。具体的には、非苦労人に比較して優しさ、強さを持ち合わせているか否かである。
  そもそも民主主義は国民が権力を監視し、批判し、改善を要求することが出来るから進歩するのであろう。とすれば、正確な情報は欠かせない。
  ところが、菅官房長官時代の記者会見はこれとは真逆である。自分と異なる質問、意見に対して、「その批判は当たらない」「まったく問題がない」という木で鼻をくくった様な返答が多かった。しかも、その理由は聞くことはなかった。これは、記者とのコミュニケーションを意図的に拒絶するものだ。記者の背後に主権者がいることに全く気付かないか、無視しているのだ。これでは、非苦労人に比較して優しさ、強さを持ち合わせているとは言いがたい。よって、彼の生い立ちは美談には当たらない。民主主義の破壊者に映る。
  思い出すのは、2001年8月15日tNHK番組で語った、知日派米ジャーナリストで知識人フランク・ギブニー氏の言葉である。
  「日本にはブレーキをかけるメカニズムが欠けているのではないかと思います。それは悲劇的な欠点です」。
  菅自民党総裁の誕生は、「表現の自由」は更に狭まる危険性が潜んでいる。悲劇的欠点を克服するチャンスを国民に与えてくれた。後世の人達の検証に耐えられるよう、民主主義に必要な基礎体力、つまり、権力を監視、批判、改善を要求する力をより一層高めたいと思う。