青森空襲で犠牲
「空気」が戦争を引き起こしたとも言われる太平洋戦争。私の親族7名が青森空襲の犠牲になった。私は当時5歳。住居は旧法務局あたり。機関区を横断、細越方面へ避難した。機関区の貨車に隠れ隠れの逃避行である。花火の夜空を見ている様な記憶は今でも鮮明だ。
私達家族5名は防空壕から脱出して助かった。同居していた母の妹は脊髄を患い動けない身。自宅で焼死した。一方、母の兄一家、両親、子供4人、近辺の防空壕で青森空襲の犠牲になった。その中に私と同じ年の女の子がいた。私はまだ生きている。彼女の人生は5歳で閉じられた。なんと惨いことか。
母、祖母からよく聞かされた。私達は、防空壕から脱出して助かった、というのだ。脱出の動機は町会長の「出ろ、出ろ」の大声にあったと言う。町会長の知恵と英断に感嘆する。
私は、太平洋戦争の悲惨さを忘れないよう記録映像、映画等を見る様にしている。中でも「沖縄戦争」に巻き込まれた女子学生の青春は余りに悲惨だ。筆舌に尽くしがたい。
私は、紛争解決手段に戦争を使うことは絶対にやってはいけないと思う。なぜなら、戦争は人殺しであるからだ。人類誕生して350万年。人工頭脳、自動車自動運転の時代が到来した。人間が月に行くようになった。しかし、紛争を戦争で解決を図るという構図は今なお続く。
当時の政治状況から何を学び、何を教訓にすべきか。民主主義の生命線である「表現の自由」(憲法21条1項)の有り難さをしみじみ感じる。その為に憲法は「国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない」(同12条前段)と規定する。