弱い個人と個人の尊重
寄り添う振る舞いに接することは難しくなった。特に、「弱い個人」に対し、偏見、差別を見かけても寄り添う姿を見かけることは難しい。これは「個人の尊重」(憲法13条前段)を教育現場でしっかり教育してこなかったツケとみている。
私が「個人の尊重」(憲法13条前段)が憲法の基軸をなすと学んだのは、既に50を過ぎていた。そこでは「人はみな違う」「違いをお互いに認め合う」「人はみな同じだから」という構造を学んだ。
「個人の尊重」の為に、最も重要なのは人権保障である。人権保障と民主主義は目的、手段の関係にあることも初めて知った。これを次の世代に日気付いていくのは「普通の個人」の義務と考えている。
ところで、私達は政府の態度に対して無関心でおとなしすぎないだろうか。権利を守る為に立ち上がる香港の若者のデモを見て、その感を強くする。
八甲田登山の際に、転勤で青森県に住んでいるというご夫婦に出会った。「青森県人は無口でしょう?でも、お酒を飲むと良く喋りますよ」と問いかけた。奥さん曰く、「いやいや、いらないことは良く喋りますよ」と返ってきた。