都知事選におけるメディアの責任
日本人は熱くなりやすく冷めやすい。中国人は熱くなりやすく冷めにくい(工藤俊一著「北京大学超エリート達の日本論」)。
私はウソをつく人間を信用しない。都知事はウソとハッタリが強い。よって、私は都知事を信用しない。しかし、選挙の結果は違っていた。
一体、都民はどの様な基準で選んだのだろうか。お笑い芸人カンニング竹山は「選挙は政策じゃない。『ムーブメント』を起こした方が勝ちなんだ」という。「ムーブメント」、意味が分からず調べた。動き、動作を言う(カタカナ語辞典)。
拍車をかけたのはメディアの存在だ。一つは、テレビ討論会を実施しなかったことだ。これは大罪である。国民の「知る権利」に奉仕すべき役割を放棄したに等しいからだ。
もう一つは、都の新型コロナウイルス記者会見を知事が独占。その会見模様を連日テレビ放映したことだ。これは、新型コロナウイルスに名を借りた選挙運動に等しい。この様な事象は、熊本豪雨災害を伝える気象庁に比べ際立っていた。
前回知事選の公約を忘れ、「健忘症」にかかったかの様な有権者。ムーブメントを拡散したメディア。この両者が都知事誕生の立役者であった。
このツケは必ず有権者に跳ね返ってくる。救ってくれるのが「健忘症」では民主主義の進化は望めない。
以 上