親切を装う利己主義者
日本国憲法は、徹底した個人主義を標榜する。これは、人間の幸せに最も寄与すると考えたからである。
個人主義と集団主義。個人主義とは、各個人は平等に最高の価値を持っている。だから、誰もが、他人の立場に配慮しつつ、独立した個人として尊重し合わなければならないことをいう。
利己主義と利他主義。利己主義とは、他人を押しのけてでも自分の利益を守ろうとすることをいう。利他主義とは、もっぱら他人の利益を守ろうとすることをいう。
ところで、利他主義で行動出来る人間はそうざらにいるものではない。深い教養と行動力、そして勇気が必要だからだ。
私は、地域のスポーツクラブへ孫を送迎している。通っているうちに保護者を知ることになる。総じて「こんにちは」が言えない。中でも問題なのは、自称「世話人」の様に振る舞う保護者の存在である。つまり、クラブ運営に関して自分には関係しないことに他人に寄り添う様に帯同する女性保護者の存在である。
これは、結果的に派閥の温床に繋がる。派閥は自由な意見の交換を封じ、スポーツクラブの民主化に逆行する。勿論、子ども達にとっても民主義を学ぶ場所にはならない。クラブの民主化は運営者が責任を負わなければならない。子どもを預かる以上、技術のみを教えていい筈がない。子ども達の教育の一部を担うからだ。
では、一体彼女は、親切な人なのか。それもと単なる利己主義者なのか。振る舞いが一見とても親切な様に見えるため問題となる。判断基準は「公平感」である。よく観察すると、彼女は決して公平に動いている訳ではないことが分かる。つまり、自分の周りの人達の為に動いているだけであった。とすれば、単なる利己主義者である。
特徴は、常に何かに怯えている様に映ること。自信喪失感が漂い、他者の評価がとても気になる。異論に興奮し、反論を切り捨てる。聞く耳を持たない。つまり、知性、理性、合理性に全く価値を置かないのだ。
ところが、利己主義者の感染力は強い。「今だけ、自分だけ」が良ければいい、というタイプの人間には特に感染しやすい様だ。つまり、「自律心」の脆弱な人間である。
私が危惧するのは、「自律心」の醸成された人間は多くないと考えられるからだ。とすれば、殆どの人はいつの間にか利己主義者に加担しているという構造が出来上がる。これでは、幸せな生活が遠のくばかりである、ということに気付かないことだ。
地域クラブ、部活は保護者にとって民主主義を学ぶ場でもある。その様な空間に自称「世話人」という菌が感染していないか。早期発見早期治療である。その為には「自律心」の醸成は欠かせないと考える。
以 上