コロナに隠れた危険な予兆

 コロナウイルスの感染拡大は止まらない。不安は募るばかりだ。コロナ禍に関連して、石田勇治・東大大学院教授は、ヒトラー登場前夜のドイツと今の日本の相似点として、政治家の質的劣化と国会の体たらくを挙げている。
  確かに、政治家の質的劣化と国会の体たらくさを映し出すかの様に不穏な足跡が高まってきた感がする。
  不安を煽り、舌鋒鋭く。しかし、反論には「君、それは勉強不足だよ」と突き放し、耳を傾ける勇気がない。そして、他者を批判することを通して、自己を正当化し価値づける。この様な輩の音が高まってきた。
  彼らのキーワードは「民意が全て」である。ところが、私たちは「民意が全て」の危険性を歴史で学んだ。それを教訓に日本国憲法は多数決主義的民主主義を採用しなかったのだ。衆参両院で可決した法律を15人の裁判官で違憲と判断することが出来る(憲法81条・違憲立法審査権)。これがその証である。
  ところが、「自律心」にほとんど価値をおかない国民性。不安な時は何かに縋り付きたい心境になるのは、自然の流れかも知れない。とすれば、不穏な足跡に引きずり込まれる可能性は十分考えられる。しかし、より心配なのは、マスメディアに感染する危険性が高いということだ。国民一人一人のより一層の「冷静さ」が求められる所以である。
  コロナ禍が収束したら、立憲民主主義が破壊さえていた、では元も子もない。

以 上