新型コロナウイルス感染で見えてきたもの
以下は、感染症研究の第一人者でもある岩田健太郎医師(神戸大学医学部教授)が、新型コロナウイルス対策で語っていることをYahoo!ニュースから引用したものである。
最大の問題は、指揮権が厚生労働相にあったことです。船内の隔離はどうするか、ゾーニングはどうするか、防護服は誰が着て、どう脱ぐのか、こうしたことを決めるのは官僚の仕事ではありません。彼らは感染対策については素人で、今回の様に医学的な意思決定など絶対にしてはいけないはずなんです。専門家不在の政治主導で決まる。日本の医療行政に警鐘を鳴らしてきました。例えば、私たちが食品や医療を語るとき、「安全・安心」という言葉をよく耳にします。安全とは、科学的に検証されたデータに裏付けられたものですが、なぜか、日本人は加えて感情的な保障として「安心」を求める。マスクについても、米国CDC(疾病予防管理センター)やWHOがあれだけ予防効果がないと発信しても、「安心」だからと多くの人が買い占めに走っています。
今回のクルーズ船でも、政治主導のもと「安心」を求める傾向が顕著で、ネガティブな指摘は絶対にして欲しくないという空気が現場に漂っていました。現に私が、船内で厚労省の幹部に具体的な対策を進言しても、「何でおまえがそんなことを言うんだ」と冷たい態度を取られました。
菅官房長官が2月18日の会見で「全て終わった後に検証して(略)次につなげていきたい」と語りましたが、収束しても半年もすれば、「やるだけのことをやって、もう終わったんだからいいじゃないか」となるのが日本の国民性です。
そこで見えてきたものは、
まず、私たちが使う言葉の曖昧さである。
「安心・安全」。これは行政側から良く聞かされる言葉である。私は、安全・安心を区別することなく漫然と受け流していた。ところが、これは全くの別物であった。
次に、厚生労働省官僚の倣慢さである。
勿論、官僚の倣慢さは厚生労働省に限ったことではない。官僚には共通する特徴がある様だ。それは「不安パニック症候群」と化する傾向が強いことだ。これは、自分は優秀なのだというのと表裏の関係にあるようだ。受験問題に解答のない問題が出題されることはない。ところが、社会でおきる問題は解答が解らないから問題になるのだ。
つまり、問題提起する能力が問われているのだ。これは、受験学力では身に付かない。受験学力の盲点である。
さらに、日本人気質である。
未だに「一生懸命」を評価しがちな日本人気質、厚生労働省官僚の倣慢さを助長させていないだろうか。「一生懸命」は手段であって目的ではない。民主主義の成熟に欠かせないのは「批判精神」であって、「一生懸命」ではない。
以 上