校長式辞を聞いて

 聾学校へ通う孫の卒業式人出席して10年になる。校長の式辞を聞いて、いつも感じるのは社会との乖離の大きさである。
  まず、子ども達の一生懸命さを強調していることだ。しかし、一生懸命は手段であって目的ではない。手段が目的化すれば目的を見失う。
  次に、生きて行く為に欠かせない「自律心」という言葉を聞くことがないことだ。その一方で、「心配は無用です。堂々と胸を張り、自分の足で歩いて行って下さい」と述べる。自分の人生、自分の足で歩くことはとても重要なことである。が、「自律心」の涵養なくして「自分の足」で歩くことなど、殆ど不可能に近い。
  さらに、人権という言葉を聞くことがないことだ。恩恵的歴史を辿ってきた障がい者問題、一人一人が人権として主張、完全参加と平等を目指す闘争が求められている。その手段である民主主義、「批判精神」が前提の制度である。高等部卒業するまで子ども達にどれほどの「批判精神」が醸成されたことか、疑問である。
  そんな中、千代田区立麹町中学校校長工藤勇一著「学校の『当たり前』を止めた」で、「今、日本の学校は自律を育むことと真逆のことをしている様に感じます」という既述に出合った。
  私は、この主張に連帯する。

以 上