人間を幸福にしない「自律心」の欠如
「マガジン9」で次の様な既述に出会った。「日本に必要なのはリーダーではなく自律した国民である」。得心である。
では、なぜ考えることが重要なのか。解答のある受験勉強とは違い、社会は「解答のない問題」が待ち受けているからだ。しかも、不確実な時代、変化の時代である。現実社会を乗り越えていく為には欠かせないと考えられるからだ。
まずは次の既述をご覧頂きたい。
以下は、加賀乙彦(精神科医)著「不幸な国の幸福論」からの引用である。
「統合失調症というのは文化や言語を問わず、どの国でもおよそ100人に1人ぐらいの割合で発症する精神疾患ですが、同じ統合失調症の妄想でも、フランスで目立っていたのは『他人と顔や心が同じになってしまった』という訴えでした。『みんな(あるいは誰か)と同じだと思われている。自分の独自性がなくなってしまう』」と悩むのです。一方、日本の患者さんの場合は、『「私はみんなと違ってしまった。だから、嫌われ、悪口を言われる。仲間はずれにされている』と切々と訴える」。
以下は、千代田区麹町中学校校長工藤勇一著「学校の『当たり前』を止めた」からの引用である。
「学校は子ども達が、『社会の中でより良く生きていける様にする』ためにあると私は考えます。その為には、子ども達には『自ら考え、自ら判断し、自ら決定し、自ら行動する資質』すなわち『自律』する力を身に付けさせていく必要があります。
社会が益々目まぐるしく変化する今だからこそ、私はこの『教育の原点』に立ち返らないといけないと考えています。今、日本の学校は自律を育むことと真逆のことをしてしまっている様に感じます」。
学校でも家庭でも規律は強調するが、人間生きて行く為に欠かせない「自律心」を強調しない。なぜだろうか。とても不思議でならない。戦前の集団主義的発想が、未だに尾を引いているということだろうか。考えることを勧めたくないということだろうか。考えない方が「楽」であるからか。
人間は長寿になった。自分の意思で適当な時期には死ねない。ですが、死ぬ間際には「皆さんありがとう、ではまた」と言って死にたいものだ。その為にも「自律心」を鍛えておきたいと考えている。
以 上