自分らしく生きた亡き恩師をしのぶ
中学時代の恩師が91歳で亡くなった。私は、昭和30年に青森市立浪打中学校を卒業した。勉強良し、スポーツ良し。青森市屈指の進学校、スポーツ校であった。
恩師はとても生徒達に人気の高い若い音楽教師であった。だが、私の担任ではなかった。時は巡り、仕事の縁で晩年交流があった。俳句をたしなみ、遊び心旺盛な方であった。
例えば、 私:「先生、日本人は最近誇りを失ったのでは?」。 教師:「いやいや、家の周りは埃(ほこり)だらけである」。
今思えば、生徒達を引っ張っていくのではなく、生徒達に寄り添う型の教師であった。言い方を変えれば、個性を型にはめるのではなく、個性を伸ばす教師であった。
個性とは、自分らしく生きることだ。組織の中では、なかなか難しい面がある。とすれば、組織から卒業したら自分らしく生きられるはずである。
ところが、長い間組織で培われた脱個性は、組織を卒業してもなかなか変わらない様だ。しかし、定年後、脱個性で20年30年は永すぎる。しかも、その時は体力、思考力が衰退の一途を辿っている時期である。
昨今、従順な子どもは巷に溢れている。なかなか個性的な子どもが育たない。理由は簡単だ。親、教師に個性的な人間がいなくなったからだ。ところが、このツケは必ず定年後に廻ってくると考えている。見えてくる光景は、自分らしく生きることが出来ないもどかしさ。一日は長く一年は短い人生である。
恩師は、自分らしく生きた人生ではなかったか。人生の道筋を示唆してくれた。冥福を祈る。
以 上