筋トレと脳トレ
「表現の自由について有名なヴォルテール(1964年11月21日〜1778年5月30日、フランスの哲学者)の言葉があります。『私はあなたの意見に反対だ。だが、あなたがそれを主張する権利は命をかけて守る』。表現内容の賛否を問わず、表現すること自体の意義を理解して、お互いの言論を尊重するということです。この根底には、自分と異なる価値観を持つ他者の存在を認めるという寛容性があると思います」(以上、法学館研究所「今週の一言」2020年新年にあたってより)。
不透明、不確かな時代である。しかも地球環境は待ったなしと報道されている。だから、ヴォルテールの言葉は色あせるのではなく、一段と輝きを増している。
ところが、今、権力者側による異論を排斥する傾向が強まっていないだろうか。ヴォルテールの言葉とは真逆の方向に進んでいる様な気がしてならない。
私は、週に2回程度「筋トレ」の為に市の施設に通っている。60歳を過ぎた様な人達がとても多い。ところが「脳トレ」を話している人を見ることがない。
私は、筋トレと脳トレの関係を客車と機関車の関係に例えている。つまり、例え豪華な客車でも機関車が動かないと意味がないということだ。ところが、筋トレに励む人は見るが、脳トレに励む人を殆ど見ることも聞くこともない。これはとても不思議な光景である。
筋トレに励む人の殆どは、「家族に迷惑をかけたくない」である。しかし、4人に1人の割合で認知症に罹患すると言われる時代である。しかも長寿社会である。でも、脳トレに励んでいるという話を聞くことがない。
自分と異なる価値観を持つ他者の存在を認めるという寛容性が社会の発展に寄与する。その為には「脳トレ」の訓練は日々欠かせないと考えている。
ちなみに、自分は後期高齢者である。「脳トレ」として憲法価値を学び、素晴らしい判決文に出会うと感激の極みである。
以 上