「自律心」を甘く見る日本人
「マガジン9(http://www.magazine9.jp)」で「日本に必要なのはリーダーではなく、自立した国民である」という既述に出会った。私は、「自立」を「自律」と読み替えて得心した。
民主主義と人権保障は手段と目的の関係にある。そして、民主主義は「自律」した人間を前提にしている。戦後導入された民主主義制度が未だに成熟しない。主因は、「自律心」が国民の間に根付かないからだと考える。つまり、個人は一人一人異なった自分なりの考えを持っているはず。それを尊重するのが民主主義である。しかも、民主主義は人権保障の手段であって目的ではない。他律した人間が前提であれば、それは独裁政治、暗黒政治である。
ところが、自律心、つまり自分で考え、判断し、決断し、実行する。その結果に対して責任を取る、という構造。国民の間に中々根付かない。理由は簡単である。根付かない方が楽であるからだ。
そんな中、孫が通う聾学校の正面入り口に「自律心」という文字が貼り出されていた。おそらく冬休みを前にして貼り出されたのだろう。
青聾祭、運動会のスローガンに良く出てくる「一人一人」。それに「自律心」が加わった。聾者の特性である内面的価値、つまり、愛情・共感・信頼などがより一層高まるに違いない。「自律心」は「自信」を育む宝庫である。つまり、失敗して教訓。上手くいって感動。この繰り返しが「自信」を育むと考えられるからだ。
障がい者が恩恵的歴史からの脱却を図り、人権保障を獲得するには障がい者自身の自律心は重要である。
一年中霧に覆われている様な日本。閉塞感の漂う日本。すっかり内向きになった日本人。これでは社会の活性化は望むべきもない。自分は同じことを繰り返し、他人に変化を求めていないだろうか。今、日本に必要なのはリーダーではない。一般人の解説・評論でもない。自律した国民である。
※「自律」と「自立」の違い
自立の対義語は「他律」です。他律とは「自らの意志によらず、他からの命令、強制によって行動すること」です。
以 上