「なぜ」を失った光景
映画「ハンナ・アーレント」の中で本人は次の様に述べている。「人間の大切な質は思考する能力です。思考が出来なくなると、平凡な人間が残虐行為に走るのです」「殺すのは誰でも良かった」はこの類いに属するか。その際、よく耳にするのは、あのおとなしい子が、あの礼儀正しい子が、である。
ところで、思考する能力、つまり「なぜ」のない市民がちまたに溢れている様に映る。狩猟民族と違い、自然に身を任せる農耕民族である市民に「なぜ」は不要なのかも知れない。その一方で、解説・評論型の人間の存在だ。自分の意見、主張が無い面々である。しかし、彼等は解説・評論すること自体が思考する能力の表れと勘違いしている節がある。これも「なぜ」のない市民である。しかし、民主主義は「なぜ」を前提に成り立つ制度である。決して忘れてはならない。
以 上