聾学校卒業生を雇用する企業者の偏見
聾学校卒業生を雇用する企業者が以下の様に指摘しているという。ところが、これは聾学校卒業生に特化した話だろうか。とても疑問である。
・「聾学校しか知らない生徒は自己中心性が高い。『自分』の姿だけにこだわり、他の意見や他者からどう見られているかという視
点がない」
前段の「聾学校しか知らない生徒は自己中心性が高い」。これは、健聴者、聾者問わず子ども全体に当てはまることである。子どもは大人の鏡。昨今、自己中は大人社会に蔓延しているのだ。
後段の「自分の姿だけにこだわり、他の意見や他者からどう見られているかという視点がない」。これは欠点だろうか。ここに偏見の臭いが漂う。私は「自信」の表れであると評価している。自分に自信のある人間は、他者との比較はしないからだ。つまり、他の意見や他者からどう見られるかという視点は不要なのだ。これは聾学校の生徒に特化した話ではない。もしかしたら、単なる同調圧力に障がいを持ち出しているに過ぎないのでは。
・「メンタルが弱く体調不良に逃げ込む」
健聴者、大人でさえメンタルの強い人間を見ることは難しい、内面的価値、つまり愛情、共感、信頼などを身に付けることは言うほど簡単な
ことではない。これも聾学校の生徒に特化した話ではない。
・「健聴の子との交流など、健聴の子と過ごした経験が多い子は適応力が高い」
健聴な子ども達は、健聴の子との交流が盛んだろうか。しかも、適応する対象が何を指すのか漠然として明らかでない。これも、聾学校の
生徒に特化した話ではない。
・「自分からコミュニケーションを取りに行く力のある子は問題が少ない」
自分からコミュニケーションを取りに行く力のある子は、そんなに存在するとは考えられない。しかも、問題の内容が漠然として明らかでな
い。これも、聾学校の生徒に特化した話ではない。
統括
一言で言えば、無知→不安→偏見という構造に当てはまる典型的な企業者の人間像が浮かび上がる。そして、「優生思想的な考え」が満
ち満ちしているという印象を強くした。中でも悲劇なのは、一体誰が、障がい者が不自由な生活を強いられる社会を構築したのか。その視点
が完全に欠落していることだ。聾の子ども達を表層的にのみ捉え、彼等の特性、つまり内面的価値に着目できない悲しさを感じる。
企業者が障がい者を雇用する、が、いつの間にか雇用してやるになっていないだろうか。まずは、企業者に「合理的配慮」を学ぶことをお
勧めする。
【参照】
・障がい者差別解消法5条(社会的障壁の除去の実施についての必要かつ合理的な配慮に関する環境の整備)
・同法8条1項2項(事業者における障がいを理由とする差別の禁止)
以 上