教育の危機
〜生徒指導が生徒監視〜

  子どもと学校を考えるシンポジウム「学校スタンダードブラック校則と子供たち」に参加した。シンポジスト4名の報告は、どれもこれも衝撃的なことばかりであった。
  思い出したのは、「学者や教師は、ボケやすい」「その教師よりも、もっとボケる可能性がある職業がある。それは公務員である」。
  理由は、ボケないために必要な「意欲」が伴っていないからであると指摘する(フレディ松川著「老後の大盲点」より)。
  私は、シンポジストの報告の中で次の2点に注目した。

1.教育と社会との乖離が益々大きくなっている。
     シンポジストの報告の中に登場する校長、教頭、教員の皆さんの幼稚化が相当進んでいる感を強くした。教員免許取得過程に、その原
   因が潜んでいないだろうか。貧しい人は大学へ進学できない。胆力の弱さは否めない。
     さらに、仕事の現場が社会との接点が殆どないことだ。子ども達の成長に比べ悲しい。

2.教育の手段が目的化し教育の目的を見失っている。
  (1)なぜ、その様な事象が起こるのか。
    教育に比べ楽であるからだ。シンポジストが指摘する「生徒指導」が「生徒監視」になっている。これは、子ども達を教育の主体ではなく、
    客体として扱う典型である。ツケは全て社会に還元されることを肝に銘じるべきである。
  (2)子ども達の「自律心」の芽を摘み、考える力を奪うことは教育ではない。
  (3)指導する技術の劣化に目をつぶり、それを覆い隠す様にマウンティング思考、つまり「優生思想的考え」に支配されていないだろうか。

3.千代田区立麹町中学校長工藤勇一は著書「学校の『当たり前』を止めた」に次の様に記している。
  「今、日本の学校は自律を育むことと真逆のことをしてしまっている様に感じます。」
  「学校は、人が『社会の中でより良く生きていける様にする』という、本来の目的を見失い、そこで行われている教育活動と実社会との間に
   乖離が起きているのです。」

  以 上