校則を盾に「秘密警察」の役割を果たす生徒達
「浪岡中学校で葛西りまさんが、いじめで自殺して3年3ヶ月が過ぎました」というシンポジウムの案内が送られてきた。思い返せば、本人は孤立に追いやられ淋しかったに違いない。悔しかったろう。本人をそこまで追い詰めた学校の責任は重い。今回、「学校に『安心』を取り戻そう」案内を読んで、下記のことを初めて知った。
・いじめの対象が「化粧」という女性特有のものであること。
・「化粧落として頬を拭かれている」ということ。
・学級担任が加担していること。
・いじめる側が「校則」を盾にしていること。
この中で特に見逃せないのは、いじめる側が「校則」を盾にしていることである。これによって、いじめる側はいじめているという意識が薄まり、逆に正義感すら持っていたに違いない。
しかし、「校則」に反しているか否かは、学校運営責任者である校長が認定することである。それをたかも「校則」に違反しているが如く拡散する行為は、第13条後段(幸福追求権)で保障する「人格権」の侵害に当たる。同時に、犯罪に当たる危険性が高い。例えば、名誉毀損罪、強要罪、暴行罪、傷害罪等。だから、学校側が「校則」を盾に情報を入手した時は、逆に慎重を期さなければならない。
本件は、「拡散」する行為があった。その行為は、学校秩序維持の為でもない。りまさんの為でもない。であれば、ビューポイントで「自分の為に行った行為である」と認定できたはずである。人権意識の希薄さ、「考える力」の脆弱さ、という教師像が浮かび上がる。これでは、教員の職務放棄に等しい。本件いじめによる自殺の原点はここにあったと考える。
ところで、問題の根はそのレベルの話ではない。もっと深刻である。生徒達が校則を盾に「秘密警察」の様な役割を果たしていることだ。子ども達は、なぜその様な行為に走るのか。
一言で言えば、子ども達が「自信」を失っているのだ。自分に「自信」が持てない為、他人と比較しなければ自分を測れない。「他者を批判することを通して、自己を正当化し、価値づける」。この構造にぴったり当てはまる。その底流には、優生思想的な考えが潜んでいる気がしてならない。いわゆる「マウンティング思考」である。
この局面を打開するには、子ども達に「自信」を回復させることである。その為には、まず教員の自信回復は欠かせない。
以 上