老舗の食堂で見た掲示
「森達也映画監督が危惧する『日本社会の集団化』という寄稿文に出会った。日本社会は「個」が弱い。もっと個を強く持った方がいい。これはジャーナリズムだけではなく、一般の人に対しても言えること」と強調。私は得心である。これは、人間の幸せの前提であると考えられるからだ。
ところで、鈴木静愛媛大学教授は、法学館憲法研究所「今週の一言」で「優生思想的な考えが、実は誰の中にもあるのではないか」と指摘する。
確かに、そうかも知れない。しかし、「個」の確立した人間は他者と比較しながら生きるということはしない。他人と比べて自分を図る必要がないからだ。
数年前、何十年ぶりかに青森市内の老舗食堂に入った時のことだ。正面に「・・・高校卒何期生」(県内有数の進学校。秋葉原事件犯人の母校でもある)と書かれた掲示が目に入った。恐らく店主の学歴なのだろう。
これが仮に、それ以外の青森市内の高校を卒業していたら「・・・高校卒何期生」と掲示するだろうか。これはしない。とすれば、なぜその様な掲示をしているのだろうか。しかも最も目立つ店正面に。そこには、属性に縋り付き他人の評価を支えに生きている人物像が浮かび上がる。これは「個」とは真逆の方向である。「自信」のなさを優生思想的な考えで必死に自分を支えている姿は、哀れみを感じる。これは、受験学力では「個」は涵養されない証でもある。
しかし、県内有数の進学校出身者は、表面には出さないが内心はその様な考えに支配されているのが殆どではないのか。悲劇は、彼等の成長はそこで止まっていることに気付かないことだ。
以 上