2019年青聾祭
〜自信に満ちていた生徒達〜
私の孫は青森県立聾学校へ在籍、中学部3年である。今年の青聾祭はテレビ局も取材に訪れ活気に包まれていた。
今年のテーマ「のりこえよう仲間とともに〜輝く自分 ヘイカモン☆〜」。舞台発表、展示会、そしてお話広場など生徒達の生き生きした表情に触れ、学校の自由度の高さを感じた。生徒達は、さらなる「自信」を得たのではないだろうか。私は、「自信」は人間を輝かせ、成長させる源と考えている。
今回のテーマは「他人の力を借りる力」と考えた。これは「一人一人がみな違う」、ということが前提になる発想だと考える。なぜなら、それぞれ違う力を合わせるから大きな力になると考えるからだ。
ところが、この構造は言うほど簡単ではない。自分に自信がなければ、どうしても他人と比較しがちである。「プライド」とか「優越感」とかが立ちはだかり、「他人の力を借りる力」は中々身に付かないからだ。
私が「一人一人はみな違う」、しかし「人間としてはみな同じ」ということを学んだのは50歳を過ぎていた。ところが、生徒達は一般の人達が学習を積まなければ中々認識できない様なことを普通に主張しているのだ。これは、少数派に属することから得られる生徒達の特性なのかも知れない。だとすれば、この特性を自分のものとして多いに使うべきである。社会には不自由な生活を強いられている人達が沢山いる。例え環境が違っても、仲間がいなくても特性を生かし、その様な人達に寄り添う行動が出来る様になって欲しい。すると、さらに「自信」が深まることだろう。
最近、「心は行動を決め、行動は心を変える」という記述に出会った。私は、聾者に対する偏見、つまり「可哀想」は特殊な発想とは考えていない。全ては「無知」から出発していると考えられるからだ。だとすれば、健聴者に対し理解を求める場合、まず「無知」を「知」へ変換する必要がある。それは、生徒達の担う役割だと考える。
行動は心を変える。自信は強い心を生み、多様性を認める精神を醸成させ、生きて行く為の大きな力を与えてくれるに違いない。自ら問題提起し、解決する能力が求められる時代である。自信は大きな力になることだろう。
確かに社会に目を転じれば、まだまだ聾者に対して無知の人達が大勢いる。しかし、全く萎縮する必要は無い。聴覚障がい者が不自由な生活を強いられているのは、あなた方の責任ではないからだ。生徒達には恩恵、施しではなく、自我を磨き、特性を認識し、少しばかりの勇気を持って、堂々と主張できる人間に成長して欲しいと願っている。
「一人一人は微力だが無力ではない」。これは私の好きな言葉の一つである。「この世に障がいのない人はいるのでしょうか」。これはドイツ・ハンブルクの聾学校を視察した際、校長が述べたものだ。私は得心である。
ヘイカモン☆ 来年を楽しみにしている。
以 上