主審の独裁制、ラグビーの魅力を失った
2019W杯ラグビー、8強入りした日本。海外のラグビーファンは今後日本をラグビー後進国とは扱わないだろう。海外のラグビーファンから追われる立場になったのだ。熱くなりやすく冷めやすい日本人気質。今だからこそ負の部分を検証しておくべきと考える。
イギリスで発祥したラグビーは紳士のスポーツであると言われる。格闘競技にして規律が厳しいからであろう。
さて、2019W杯ラグビー日本選手の振る舞いは、この精神に相応しかったろうか。トライ後に誇らしげにボールを投げ捨てる光景。勝利した時の喜びの表し方。敗者に対する配慮が足りなかったのでは。勿論、この精神のありようは勝利至上主義からは無価値であろう。
過去、大学、社会人ラグビーを通じて観客が熱くなったのは、国立競技場を満員にした早明戦くらいである。だが、2019W杯ラグビー日本開催は、とても盛り上がりを見せている。果たして、ラグビーファンが根付くだろうか。私は悲観的である。その理由を挙げてみた。
・主審の独裁制
・少年達に魅力を抱かせる取り組みをしているか。例えば、本大会を通じて入場料、観覧位置等に配慮があったのか。
・技術面、精神面の両者を指導できる指導者の育成に取り組んでいるか。
・紳士という言葉が日本の社会風土に馴染まない。
・格闘競技の側面が強く、子ども達は避けたがる。
私のラグビー観戦歴は古い。しかし、今までは外面だけを観ていた。本大会を通じて内面を学習する機会を得た。なぜ、ラグビーの主審が独裁的なのか。国策的臭いを感じ取った瞬間、ラグビーに対する魅力を潮が引くように失った。
イギリスで発祥したラグビー、その地域性も興味深い。ラグビー欧州6ヶ国対抗戦「シックス・ネーションズ」は歴史ある大会である。しかし、その周辺国、ドイツ・スペイン・北欧の国々からはラグビーの話を聞くことはない。それぞれの国にラグビーに対する価値観が違うのだろう。
以 上