ラグビー競技の意外な側面
〜勝敗を左右する主審判定〜


  スポーツ観戦の中で最も好きなラグビー。ラグビーW杯、開催地が日本ということもあってラグビーが盛り上がりを見せている。そんな中、私のラグビーに対する評価が揺らいでいる。理由は、前回大会からよく耳にする「ラグビー競技は主審とのコミュニケーションが重要である」にある。この様な言葉は、他のスポーツ界からは聞いたことはない。
  思うに、これは主審に情緒的判断があり得ることが前提の発想ではないだろうか。仮にそうだとすれば、それはコミュニケーションとは言わない。これは、ただの主審に対する「従順な姿勢」に過ぎない。コミュニケーションとは、一言で言えばキャッチボールであるからだ。
  格闘性の強いラグビー競技。主審と選手とのコミュニケーション。何とも異質な構造である。ところが、その理由がようやく分かった。
  それは、主審の独裁制にある。主審が絶対なのだ。これは、他に類を見ないスポーツである。主審の判定にミスは無い。だから、監督、選手の抗議を受け付けない。そればかりか、抗議したと評価された選手にはペナルティーを科す。言うなれば、主審は独裁者なのだ。この様な構図が前提で行われるのがラグビー競技である、ということが分かった。
  では、一体なぜこの様な構図ができあがったのか。ヒントはラグビー発祥の地イギリスにあるようだ。イギリス国は、ラグビーの主審に独裁制を求めていた節があるからだ。
  観客は凄まじい肉弾戦を観戦するために行く。勝敗に大きな影響を与える主審判定。選手とのコミュニケーションによって、勝敗に影響を与える様なことがあってはならない。ラグビー競技の醍醐味を没却させ、勝敗に対する信頼性を損なうからだ。
  TMO(テレビジョンマッチオフィシャル)は、主審の判定を手助けするものであって、主審判定をチェックするものではない。独裁者はとかく独善的、恣意的に陥り易い。主審判定をチェックする制度を新たに導入すべき時期に来ているのでは。 

  以 上