忖度する悪


  「自分に自信がないと、どうしても人と比べてしか自分を測れなくなってしまう」と指摘するのは「憲法のことが面白いほどわかる本」の著者伊藤塾塾長伊藤真である。
  また、「優生思想的な考えが誰にもあるのではないか」と指摘するのは、鈴木愛・愛媛大学教授である。(法学館憲法研究所「今週の一言」)。
  この両側面を裏付ける様な記述に出会った。以下は「マガジン9:https://maga9.jp/」からの抜粋である。

  「16日に出版した『この国の不寛容の果てに 相模原事件と私たちの時代』で対談した、批評家で元障がい者ヘルパーの杉田俊介氏の言葉だ。
  「『権威主義パーソナリティ』とか『自発的隷従』という言葉がありますが、強い者、権威ある者の考えそうなことを下の人間が先回りしてやってしまう。分かりやすく言えば『忖度』ですね。権力者が命令してやらせるのではなくて、支配さえる側が自分からそれを正しいと思って実行するというのがポイントです。
  かつて、ハンナ・アーレントは、上官の命令に従ってユダヤ人の大量虐殺を実行したアイヒマンを『凡庸な悪』と形容しましたが、それよりも進んで、当事者が望みそうなことを勝手に推測して実行してしまう。まさに『忖度する悪』です。その結果、現実には社会的弱者に近い人でも、トランプや安倍晋三といった権威と一体化することで自分が優越した存在であるかの様に思えるのかも知れません」

  「忖度。災害を放置しての組閣。だけど、それほど高まらない怒りの声。それどころか声をあげる人をよってたかって叩く様な風潮。
  きっと、何かのタガがはずれているのだと思う。同時に、言葉が恐ろしいほどに軽くなっているのだと思う。
  例えば、相模原事件から二ヶ月後、アナウンサーの長谷川豊氏は『自業自得の人工透析患者なんて、全員実費負担にさせよ!無理だと泣くならそのまま殺せ』とブログに書き、それは当然大炎上したが、その後彼は、日本維新の会の公認候補となっている。そういうことに私は怒りを感じるけれど、もう怒っても無駄なのかも知れないとも思ってしまう。昨年の杉田水脈氏の『生産性』発言もそうだ。そうして、丸山穂高氏の『戦争』発言。北方領土での発言のみならず、竹島についても『「戦争で取り返すしかないんじゃないですか?』とツイートした。そんな丸山氏が入ったN国の政見放送や立花氏の発言の数々。言葉が暴走している。暴走しているのに、酷く軽い」。

  これらは「自信」を失った証である。権力は批判の対象、人間が信頼の対象、と述べるのは伊藤塾塾長伊藤真である。「忖度する悪」はこれとは真逆である。そもそも民主主義は国民が権力を監視し、批判し、改善を要求することが出来るから進歩するのであろう、終身雇用制度は崩壊、「会社」に頼れなくなったら「国」に頼る、ということだろうか。そもそも、彼等は一体どの様な社会を目指そうとしているのだろうか。それとも目の前の息苦しさから逃避したいだけの話なのか。
  「忖度する悪」と「怒りの声をあげる人を寄ってたかって叩く様な風潮」「言葉の暴走」。これらは比例の関係にあると見る。つまり、「忖度する悪」の繁殖に比例してさらに叩き、さらに暴走することだろう。彼等も立ち位置を守るために必死なのだ。
  「忖度する悪」からの脱却は、私たち一人一人が自信を回復することであると考える。その際「自律心」の醸成は大きな力になるに違いない。そして、一人一人が等身大で頑張ることがとても大事なことと考えている。利己主義者が繁殖する現況下では尚更である。私は築78年になる。長寿社会を心身共に健康で生き延びる鍵を握るのは「自信」であると考える。「無知の知」を知ることも、多様性認める精神を醸成することも、自分に「自信」が無いと至難の業と考えられるからだ。

  以 上