ソクラテスの弁明
私は、県内有数の進学校へ進学しなかった。大学は通信教育で卒業した。つまり、「優生思想」の堆肥がない道を歩んだ。これが幸いした。属性に縋り付くことには無縁であった。その結果、身に付いたのは「私は何も知らない」であった。そして、「自律心」であった。
そんな折、次の様な記述に出会った。「知らないことを知っていると思い込んでいる人間より、知らないことを知らないと自覚している人間の方が賢い(ソクラテスの弁明)」。そして、次の様な解説が付されていた。
「例えば、僕たちも『このことに関して良く知っている』と思うことは一つや二つ持っているでしょう。しかし、『良く知っている』と思うということは、『もっと知りたい』という好奇心を無くしているに等しいことなのです。
しかも、一つや二つの分野に詳しかろうが、この世の全ての知識・データに比べれば、一人の人間の知識なんて取るに足りません。だからこそ、自分は何も知らないというのを自覚しつつ、『もっと知りたい』という考えをしなければならない、とソクラテスは言っているのです。」
レースの様な人生を歩んだ人、つまり他人と比較して生きてきた人が定年になった場合。これからは自分を評価してくれる人は誰もいない。環境の変化に戸惑いを感じても不思議ではない。しかし、糸の切れた凧の様にはなりたくはない。かといって主体的に生きてきた訳でもない。待ち構えているのは群である。確かに、群は一時の清涼剤にはなろう。しかし、群は同調圧力が強く、主体的な生き方は遠のくばかりだ。
私は、脱サラを経て43歳の時に行政書士試験に合格、翌年行政書士登録をして開業した。その後、さらに法律を学ぶため「伊藤塾」の在宅コースへ入塾した。既に50歳を過ぎていた。そこで出会ったのは、今では不世出と評される伊藤塾塾長・弁護士伊藤真であった。特に憲法講義は人権に熱く、目頭が熱くなることは度々であった。この辺りから人生がぶれなくなった。月一回配信される「塾長雑感」は人生の教訓となり、現在に至っている。
築78年を振り返って、私の「自信」の源流は「何も知らない」と「自律心」であった。「人は、歳を重ねただけでは老いない。理想や情熱や希望を失った時に、初めて老いが来る」。常にこのフレーズを肝に銘じ、精進を続けたいと思う。
※ソクラテス:古代ギリシャの哲学者(紀元前469年〜紀元前399年)
以 上