青森県の魅力を発信
〜県民一人一人の自信が不可欠〜
八甲田山系を登山していた時のことだ。40歳前後の転勤族と思われるご夫婦と会話する機会があった。奥さんが青森での会議に出席したというから尋ねてみた。
私:青森の人は積極的に発言しないでしょう。
奥さん:いやいや、よく喋りますよ。
私:それは酒が入った時の話でしょう。
奥さん:いやいや、要のない話はいくらでも話しますよ。
極論的ではあるが、私はこれが青森県の魅力に立ちはだかる高い壁と観ている。自然の恵みは観て良し、食べて良し、である。が「心が行動を決め、行動は心を変える」というが、問題の確信は「心」にあると考えている。利己主義的傾向からの脱却を図り、利他主義への移行が求められよう。
具体的には、相手に寄り添う心である。質問力、共感力、想像力、つまり内面的価値である。この内面的価値を高める努力をしないと、青森県の魅力は伝わらない。この背中を押してくれるのが「自信」である。
では、どうしたら自信が身に付くのか。「主体的に生きる」ことに尽きると考えている。そこは教訓と感動の宝庫だからだ。その繰り返しが人間を成長させ、自信が身に付くものと考えている。ところが、これは「受験学力」とは無縁である。しかも、日本の社会風土ではまだまだ勇気が必要かも知れない。しかし、するめに似ている。かじればかじる程味が出てくるのだ。しかも60歳過ぎてから味が出てくる。
以下は、産業祭りでの出来事である。五所川原地域の名産だという吸い物を展示していた。県外風の来訪者が聞いた。「その味はどんな味がするのですか」。ところが、頭みたいな70歳前後の女性が店頭での若い女性の説明を遮り「よけいな話は喋らなくていい」と言い放ったのだ。そして、「食ってみねばわがね」と続けたのだ。どうして「試食してみて下さい」と言えないのか。要のある話はしないが、要のない話はいくらでも喋る典型例である。
以 上