自信の効用

 私は、毎週一回孫を連れてスポーツクラブに行っている。もう3年近くになる。そこで見えてきたのは、帯同する親御さん達の振る舞いである。殆どが30代前後のお母さん達である。
  用のない話をベラベラよく喋る人。沈黙している人。そして、教養の高い人、様々である。そして、クラブ経営者は子ども達に「挨拶」の重要性を度々指導するが、しっかり挨拶できる親御さんは少数だ。
  「意見を言うと後でどうなるか、という不安や失敗恐怖が渦巻いている」。30代前後の親御さん達は、この様な時代に思春期を過ごしたのだろうか。とにかく主体性が感じられない。だとすれば、要のない話をベラベラ喋るタイプの格好の餌食になっても不思議ではない。
  そこで、要のない話をベラベラ喋るタイプに焦点を当ててみた。すると「自分は自分で良いんだ」という自信がない人間像が浮き彫りになってきた。自分に自信が持てない人は、他人と比較してしか自分を測れない。だから、他人の評価がとても気になる。よって、注目を得るため、要のない話をベラベラ喋るという構造である。
  要のない話をベラベラ喋る典型例が利己主義者である。他人の評価がとても気になる輩である。他人を押しのけてでも自分の利益を守ろうというのだから、当たり前と言えば当たり前である。彼等は仲間を募り自らを癒やす。虚勢を張り、親切を装い、毒を放つ。つまり、ベラベラ喋るのは良いが、聞く側にまわれないのだ。いわゆる、「自己中」の人間である。社会生活の基本原理である「公平」という観念が欠落しているのだ。これは、自分は自信がありません、と宣言しているに等しい。
  ところが、主体的に生きていないと利己主義者か否かを見抜くのは難しい。だから、殆どの人は汚染される。しかも、利己主義者に加担しているという意識がない為、拡散するスピードは速い。これは利己主義者にとっては止められない快感なのだ。いじめの加害者に似た構造である。
  この点、主体的に生きている人、つまり自信のある人は「質問」が上手い。視点、観点が多様的である。そして、公平感覚が醸成されているから利己主義者か否かを判断するのに、そんなに時間を要しない。
 

  以 上