利己主義の怖さ
聾学校に通う中学3年になる孫は、週一回空手道場に通う。孫を空手道場に通わせた理由は「自律心」「自己肯定感」の堆肥作りにあった。これは、社会の中でより良く生きていける様にするためには欠かせない重要な要素であると考えるからだ。
ところが、「自律心」「自己肯定感」が芽生えたのは空手道場ではなかった。聾学校の教育にあった。キーワードは「一人一人」を大事にする経営理念にあった。これは、校長から聞くことはあったが、聾学校の行事がある度に子ども達から聞くのだ。教育の質の高さを感じる。
私は、孫の空手の練習風景を見て既に3年が経つ。そこで見たのは正と負である。スタッフの指導により、孫は初段に挑戦する所まで到達した。
一方、負の部分も見えてきた。利己主義な一人の母親とそれに巻き込まれる親御さん、揺らぐ空手道場の経営理念。
個人主義と利己主義
不世出と評される伊藤塾塾長・弁護士伊藤真は、個人主義と利己主義の違いを次の様に述べる。
個人主義は「他人をおしのけてでも自分の利益を守ろう」という利己主義とは違う。むしろ反対で、各個人は平等に最高の価値を持っている訳ですから、誰もが常に他人の立場に配慮しつつ、独立した個人として尊重し合わなければなりません。
利己主義的人間の特徴
利己主義について机上では知っていたが、現実に見るのは初めてであった。確かに、一見他人の為に行動したり振る舞っている様に見える。事実相手から感謝されたりもする。しかし、多様性を認める発想がないためか、常に何かに怯えている様に映る。
そして、怯えを癒やす為仲間を募り、自分の評価を上げる、相手に借りを作らせるなどの行動に出る傾向が強い様だ。さらには、自力で解決する姿勢を放棄し、誰かのせいにする傾向が強い。つまり、考えることをしない。というより考えることが出来ない。公正・平等などには無縁である。ただし、自分が不公正・不平等に扱われれば、周りを巻き込んで吠える。つまり、一人では何も出来ないタイプである。子どもの反抗期に最も慌てふためく輩である。そして、常に「自分は悪くない。子どもの為にやったことだ」と自省することはあり得ないのだ。
また、対子どもに対しては、自分の型にはめたがる。子どもに対する期待が大きい。この裏返しは子どもの「自己否定感」である。その怖さの認識が出来ていない様だ。例えば、秋葉原殺傷事件。加害者は次第に期待に応えられなくなり、自己否定感を強めていったのだ。つまり、加害者は事件を起こす前に母親に殺されていたのだ。
利己主義的人間が存在する背景
利己主義によって、不安が癒やされ心地よさを味わう。これが止められないのだ。「自律心」の弱い人間は利己主義を「親切」と履き違える傾向が強い様だ。その為、利己主義は人に気付かれにくい。感染するスピードが速い。これらが利己主義者の盛衰を決することになる。だとすれば、どちらも自律心が弱い人間ということになる。しかし、一方は利己主義に走り、片方はその被害者になる。分水嶺はどこか。虚栄心、見栄が強いか否か。優生思想的傾向が強いか否か。によって別れる考えられる。不確かで不透明な時代である。利己主義の感染力を決して侮ってはならない。
千代田区立麹町中学校長:工藤勇一著「学校の『当たり前を』止めた」に、こんなことが書いてあった。「子どもは、大人がきめ細やかに手をかけるほど、自律できなくなることを大人達は今一度全員で認識する必要があると考えます」。
子どもがやることを親がやり、親がやることを親はやらない。例えば、道場内で仲間以外とは挨拶を交わす光景は殆ど見ることがない。また、中学生の子どもにべったりの親御さん。期待の表れかも知れない。しかし、これでは自律心の萌芽を摘む様なものである。
空手を通じて精神を鍛える道場が、「利己主義」に汚染されることがない様、個人主義(憲法13条前段)の破壊に手を貸す様なことがない様願っている。
以 上