国民は自信を失ったのか。元々自信が無かったのか。
言葉に力が感じられず、憲法を無視ないし軽視する安倍政権に対する批判が一向に高まらない。その理由がようやく分かった。
元々自我に弱い国民が会社に頼れなくなり、今度は国に頼るという構造が生まれていることに気付いた。これでは安倍政権に対する批判が高まる筈がない。
アフリカの少数民族を撮り続ける写真家・ヨシダナギが問う「自我無き日本人」で次の様に記している。
・少数民族の人達は自分が一番カッコいいと思っていますし、
・自分と誰かと比較して卑下することはないんです。
・日本人は他人と比べすぎていて「自我がない」と思うことがあります。
ヨシダナギさんの記述に目から鱗である。では、日本国民一人一人はアフリカの少数民族の持つ魅力を完全に失ってしまったのか。元々無かったのか。私には元々無かったと映る。理由は以下の通りだ。
@他者と比較しレースの様な人生を歩んだ人達は廻りにこと欠かないこと。
A学校教育で積極的に「自律心」の醸成に取り組んでいる様子は見当たらないこと。
B他者を批判することを通して、自己を正当化し、価値づける輩がやたら多いこと。
C凜と背筋を伸ばしている高齢者を殆ど見ることがないこと。
自分に自信がないと人と比べてしか自分を測れなくなってしまう(@)。また、「自律心」の弱さは自信を醸成させない。そこは教訓と感動の宝庫だからだ(A)。自信のある人は論理と内面的価値を駆使して自分の正当性を主張するからだ(B)。
だとすれば、元々国民一人一人にアフリカの少数民族の持つ魅力は無かったのだ。個人主義(憲法13条前段)を大前提にした日本国憲法が施行されて72年。国民に自信を育む堆肥が未だに出来ないでいるのだ。今学校で「自律心」の醸成と真逆のことが行われているとしたら、国民一人一人に自信を育む等とは絵空事である。
長寿社会を迎え、逆境に正面から立ち向かう勇気を醸成する為にも、瀕死の状態にある民主主義を再生する為にも、国民一人一人が「自律心」の醸成を急がねばならない。
以 上