日本人「気質」は社会をダメにする

  「教育の力」は既に風前の灯火なのだろうか。平和主義と民主主義は人々の思想や行動において、捨て去られてしまったのだろうか。もはや憲法9条の掲げる戦争の放棄による国際平和の理想は、人々の希望や意志から離脱してしまったのだろうか」。
  これは、佐藤学・当時東京大学大学院教育学研究科長が2004年(平成16年)に書いた論考「教育・教室から大義も目的も失われる」の一部である。
  この指摘は15年経過した今、一向に色あせない輝きを放ち続けている。そればかりか、論者の危惧する傾向が強まっているのだ。これは、国政選挙の投票率、支持政党を見れば明らかである。
  この事象は、日本人気質と学校教育とが深く重く関わっていると考える。日本人の気質について鋭い指摘をした人がいる。第二次大戦米軍の海軍将校として戦い、戦後は東京駐在ジャーナリストとして活躍した知日派知職人のフランク・ギブニー氏である。
  「今でも積極的に一歩前へ踏み出して、これはおかしいと言おうとしない気質があります。日本にはブレーキをかけるメカニズムが欠けているのではないかと思います。それは悲劇的欠点です」。
  一方、学校教育について千代田区麹町中学校長工藤勇一は著書「学校の『当たり前』を止めた」に次の様に記している。
  「学校は子ども達が、『社会の中でより良く生きていけるようにする』為にあると私は考えます。
  その為には、子ども達には『自ら考え、自ら判断し、決定し、自ら行動する資質』すなわち『自律』する力を身に付けさせていく必要があります。
  社会がますます目まぐるしく変化する今だからこそ、私はこの「教育の原点」に立ち返らないといけないと考えています」。
  では、現況はどうだろうか。日本人気質は改善とは真逆の方向へ加速し、学校は教科を重視する余り教育の原点を見失っている、と言わざるを得ない。
  若者は目先のことが最優先。大人は楽な生活が最優先。共通しているのは批判精神の欠如である。多くの主権者が主権を放棄したと言い換えても良い。そのツケを被るのは国民である。
  論者の指摘は、これからも色あせない輝きを放ち続けるのだろうか。それは、私たち一人一人次第である。「あなたはどの様な社会を目指しますか」。まずこれを確認すべきである。そして、その実現に身の丈に合った行動をする勇気が求められよう。




 

  以 上