優生思想的な考えが誰にもあるのではないか?
法学館憲法研究所「今週の一言」で「優生思想的な考えが誰にもあるのではないか」という記述に出会った。
仮に、これが誰にもあるとしたら、人と比べてしか自分を測れない人間が蔓延しているということだろう。
これは、自分に対する他の評価が気になる。そこで、これを支えるのが優生思想的な考えである。そして、さらにこれを支えるのが属性である。例えば、出身高校、出身大学という学歴、定年時のポストという職歴などである。これは、人がすっかり自信を失っている証と見る。自分に自信のある人は、人と比べる必要がないからだ。
ところで、自信の喪失は社会生活に多大な影響を与えている様な気がしてならない。見逃せないのは、多角的視点が弱まっていることだ。親と子、教員と生徒に関する殺人事件・体罰の報道に触れその感を強くする。
不世出と評される伊藤塾塾長・弁護士伊藤真は「憲法のことが面白いほどわかる本」に次の様に記している。
「『自分には、これだけの個性があり特徴があるのだから、人がどうであろうと気にしない』と言える自分がないとどうしても人と比べてしか、自分を測れなくなってしまうんです。私達は、一人一人が自信を回復することが個人の尊重という観点からは必要なことの様に思います」
では、自信の回復をどうしたら図ることが出来るか。私は、「自律心」の醸成に尽きると考えている。そこは思考する能力が求められ、教訓と感動の宝庫である。失敗して教訓。上手くいって感動。その繰り返しが自信を育むと考えられるからだ。
通信機器は底知れない発達を遂げている。人工頭脳が話題になる時代である。だからこそ、「心の時代」の到来と言いたい。目に見えないものを見る力。つまり、共感力、想像力、愛情、信頼などの内面的価値が重視される時代である。これは親と子、教師と生徒、指導者と非指導者全てに当てはまることである。その為に、一人一人の自信回復は欠かせないと考える。
以 上