長寿社会を乗り切る武器

  古来、日本人は「一生懸命」に努力する人を美徳として考えてきた。それに比べ「自律的」な人の評価は高くない。これは、自律的な人間を評価するには自律的な人間でなければ出来ない証でもあろう。
  私達は、不確かな時代、長寿社会を生きなければならない。果たして、「一生懸命」に努力することは美徳とする発想で乗り切れるのだろうか。見直してみた。
  まず、「一生懸命」を背中に見せる人、「自律心」を背中に見せる人、その特徴をまとめてみた。

  一生懸命な人は、
  ・日本人の特徴である情緒的判断に馴染むため、一般に評価が高い。
  ・その為か「一生懸命」という手段が目的化する危険性が高い。
  ・他者の評価がとても気になるため、目的の為に何をすべきか、という適切な発想が弱い。
  ・他者からの批判を受けることが少ないため、学ぶ機会が閉ざされ、人間の成長が難しい。
  ・「対立」があって当たり前という構造に対する経験値が足りない。その結果、批判に以上に「不安」を募らせる。
  ・民主主義の前提である。権力を監視し、批判し、改善を要求する、という構造が涵養され難い。
  ・「自律心」とは無縁。社会の中でより良く生きていける様にするためには欠かせない重要な要素が欠落している。

  自律心の涵養されている人は、
  「群れ」を好まない。社会の中でより良く生きていける様にするためには何をすべきかと考える。その結果、利他主義の傾向が強い。上位目的の視点からことを分析できる。
  また、自律心は失敗して教訓、上手くいって感動。つまり、教訓と感動の宝庫である。その繰り返しが人間を成長させるものと考えている。これは「自信」の源である。
  私達は不確かな時代、長寿社会を生きなければならない。「一生懸命」に努力することを美徳とする発想で乗り切れるだろうか。とても疑問である。
  「自律心」を美徳とする堆肥を作らねばならない。そして。「自信」を回復しなければならない。これが老いを防ぎ、長寿社会を生き抜く源と考えている。
 


 

  以 上