老いに忍び寄る群れの誘惑

  最近、町会の催事にほとんど参加しなかった。久々に町会総会に参加して感じたのは、住民の高齢化に伴い出席者が増加していることだ。そして、高齢者による「群れ」が生じ始めている印象を頂いた。

 ・人はなぜ群れるのか。
  高齢者が自信を失っている証であると見ている。主因は、主体的に生きてこなかった。「自律心」の欠如と考える。実はそこは教訓と感動の宝庫である。私は、教訓と感動の繰り返しが人間を成長させるものと考えている。レースの様な人生を歩んできた人達には殆ど無縁の事象かも知れない。
  高齢に伴い忍び寄る「老い」。「老い」による不安から逃れたい。孤立は怖い。一人にはなりたくない。さらには、属性にしがみつく。群れの誘惑に乗じるに時間は要しない。
  これは、国民性、つまり集団化しやすく個が弱い。組織に従属しやすい国民性が見事に表れている事象である。しかもこの傾向は年齢を重ねるごとに強まる傾向にあると考えられる。

 ・群れることの弊害
  考えや価値観は人それぞれ。生きている限り「対立」はどこでもいつでも起こる。これ自体は、何ら悪いことではない。むしろ、この対立を避けることの方が大きな問題であると考える。
  ところが、この当たり前のことが封印され、同調圧力が強まることがあっても対立は起こらない。よって、合意形成を図る訓練は無用である。
  また、群れは殆ど思考停止状態である。群れない人々に対する想像力が弱体化、さらには暴走する危険性さえある。
  さらに、群れの中では「一生懸命」な人の評価は高い。しかし、この様な現象下で起こりがちなのは「手段の目的化」である。つまり、いつの間にか「一生懸命」が目的化していくことである。その結果、社会現象とミスマッチが起きていることに気づけない危険性が高いと考える。

 ・群れの誘惑に対する防止策
  主体的に生きることである。そもそも、群れる場所に身を置き、老いからくる不安は解消するのだろか。確かに、群れる場所は思考が停止し、居心地は良いかも知れない。一服の清涼飲料の役割は果たしてくれるかも知れない。しかし、対象療法になっても原因療法にはならない。同調圧力を強め、他者を排除することで安堵感を得ようとするからだ。根本的な部分にメスを入れれないのだ。
  今後、高齢者の「群れ」は増殖の一途を辿るに違いない。しかし、今、高齢者に求められているのは群れることではない。自信を回復することである。その為には、「自律心」の涵養は欠かせないと考える。
  「個にして弧ならず」「和して動ぜず」この様な凜とした生き方は、日本の社会ではまだまだ勇気のいることかも知れない。その為には、日々「自律心」の強化は欠かせないと考えている。
  「人は歳を重ねただけでは老いない。理想や情熱や希望を失った時に、初めて老いが来る」。これを肝に銘じ「老い」に立ち向かいたいものだ。
 


 

  以 上