障がい者による偏見

  障がい者に対する偏見が最も強いのは障がい者自身である。そんな思いを抱かせる光景に出会った。
  聴覚障がい者達の忘年会に参加した時のことである。私の隣に小学5年生の男の子と聴覚障害を持つ親御さんがいた。私は、子どもに「お母さんの耳が聞こえないことで、学校でいじめにあうことはないですか」と質問した。その瞬間、母が激怒したのだ。
  これは、障がい者が障害に対する物の見方、考え方が如実に表れた事象と捉える。つまり、障害に対する健常者の無知を解消したいと考えているのか。それとも、障害を他人に知られたくない。触れられたくない、と考えているのか。
  この立場の違いは、記述の質問の評価に影響を与えることになる。激怒した親御さんは「嫌な質問」と評価したのだろう。「人権の問題」として評価できないのだ。これでは、無知を取り除いているのではなく、無知を抱え込んでいる様なものだ。
  また、障がいを他人に知られたくない。触れられたくない。が、一方で、障がい者が生きづらい社会を共生できる社会に改善して欲しい。この論理は健常者にとても分かりづらい。
  健聴者とのふれ合いを避け、狭量な人間になっていないだろうか。偏見の種を障がい者自身が蒔いていないだろうか。人権の扉を自ら閉めるようなことがあってはならない。
  自律心とアグレッシブ(積極性・攻撃性)な生き方は、今までみなとこのない風景を見せてくれる筈だ。私はその様な人達を応援したい。


 

  以 上