アグレッシブな堆肥

  いじめによる自殺は後を絶たない。主に中学1年生から三年生、13歳から15歳までの子ども達である。男女を問わない。思春期であると同時に青春の入り口に入ったばかりの子ども達である。
  この時期に自らの命を絶つ。命と引き換えに出来る価値とは一体何だろうか。いじめによって自らの生命線がずたずたに寸断されたということだろうか。取り巻く人間に対する不信感だろうか。それとも、いじめに対し死を持って抗う、ということなのだろか。いずれにせよとても悲しい。
  最近、世界的スポーツコーチが多用している言葉に気付いた。それは「アグレッシブ」という言葉である。攻撃的、積極的という意味である。実践することで、眠っていた心の扉を開けてくれる様な響きがする。同時に清涼飲料水を飲んだ様なさわやかな気分にしてくれる。
  また、「心が行動を決め、行動は心を変える」という記述に出会った。共通しているのは「心」を語っていることだ。
  この心の部分は「自律心」の涵養に大きな役割を果たすことになると考えている。「自律心」は時には苦い、時には清涼飲料水のような役割を果たしてくれる。その繰り返しが「自信」という大きな利器を手に入れると考えている。その「自信」は、いじめ防止に強力な道具になるに違いない。
  私は球児であった。声が大きい。声を多く出す。ただそれだけで、高校1年生新人戦からレギュラーの位置を獲得した。社会人野球では、東日本準公式大会へ出場。通信教育を通じて日本大学野球部にも参加した。香椎監督の評価は今でも鮮明に覚えている。
  子ども達は100歳時代を生きなければならない。その為の堆肥を作るのは大人達の責務であると考えている。作るのに時間は掛かるかも知れない。しかし、その堆肥が「アグレッシブ」精神で満たされていれば。、お互いの違いを認め合い、闊達な子どもを育成する気がする。


 

  以 上