東大生よエリートを目指せ

  東大生よエリートを目指せ。せっかく持って生まれた才能である。エリートとは、自分が持つ能力や才能を人の為、社会の為に使うことが出来る人をいう。
  ところがどうであろう。恵まれた才能に国費を使い、東京大学は一体どんな人材を育成しようとしているのか。東大出身官僚の低落さを見せつけられ憤りさえ感じる。
  そんな事象を見据えてか、東大名誉教授上野千鶴子さんは、2019年4月12日に開かれた東大入学式で新入生3,100人を前に、次の様な祝辞を述べている。
  「あなた達の頑張りを、どうぞ自分が勝ち抜くためだけに使わないで下さい。恵まれた環境と恵まれた能力とを、恵まれない人々を貶めるためにではなく、そういう人々を助ける為に使って下さい。そして強がらず、自分の弱さを認め、支え合って生きて下さい」。
  この祝辞に出会い思い起こすのは、民法の大家我妻栄先生が山形の高校の母校で講演した際に述べたことである。「息の長い人間になって下さい。堆肥の役目を果たして下さい」。そして、次の様に述べている。
  「人間は大器晩成型と、気の利いた化学肥料の様な長続きしない型とがある。田圃に化学肥料をやりますとすぐに効きますが、すぐに駄目になってしまう。駄目になる様な肥料ばかりをやっていると、土質が段々悪くなる。堆肥というのは、すぐには効かないが、二年、三年とやっている間に、土質の改良をすることさえやりかねない。人間もこの堆肥型でなければならない」。
  これは、昭和41年(1966年)のことである。その輝きは、不確定、不透明な時代を迎え、衰えるどころか増すばかりである。
  堆肥になる為に東大へ入学したのではない、ということだろうか。昨今の東大出身者官僚の低落さに触れ、軽い、薄いという印象は拭い切れない。その一方で、化学肥料はまき散らすのだ。速効性を演出し、自らの優生思想的側面を訴える。土壌の質は悪くなるばかりである。これは、自己中心主義で利他主義など念頭にない、ただの輩に過ぎない。これはエリートとは言わない。
  「成功することは素晴らしい、成功しなくても成長することはもっと素晴らしい」。こんな言葉は彼等に伝わるのだろうか。
  東大出身者は、すっかり「自信」を失い、優生思想的考えに支えられている様に映る。これは、「自信」は受験学力では身に付かない証かも知れない。今からでも遅くはない。「自律心」をより一層鍛えることを期待したい。諸君には出来るはずだ。


 

  以 上