障がい者に対する偏見

  障害者に対する偏見はどうして生まれるのか。背景に潜んでいる思想は何か。
  思うに、無知と不安からであろう。そして、背景で支えるのが「優生思想的な考え」であろう、と考えている。「可哀想」という差別語が全てを表す。「可哀想」と思う内心が偏見を生む元祖である。
  障がい者が不自由な社会生活を強いられているのはなぜか。この問いに答えられないと無知から来る不安の解消は難しい。
  また、自分に自信がないと、どうしても人と比べてしか自分を測れなくなってしまう。そこで芽を出すのが「優生思想的な考え」である。しかし、これは誰の中にもあるのかも知れない。とすれば、健常者の優生思想的な考えを正すのは難しい。
  これが健常者対障がい者という構図では、より一層明確に映し出される。障がい者に対する偏見を生む土壌はことを欠かないのだ。これでは、障がい者に対する共感など絵空事に過ぎない。
  では、障がい者に対する偏見を解消するにはどうしたらよいのか。
  「自律心」の醸成に尽きると考えている。つまり、自分で考え、判断し、決断し、行動する。その結果に対して責任をとる、という構造である。そこは、教訓と感動の宝庫である。失敗して教訓。上手くいって感動。この繰り返し人間を成長させるものと考えている。そして、障がい者に対し「可哀想」という偏見を持つことの狭量さに気付くのに時間は掛からないだろう。加えて、障がい者からしか学べないことがあることに気付かされるに違いない。その為には、障がい者側からの発進は重要である。彼等の臆することのない自由な発進を大いに期待したい。
  不世出と評される伊藤塾塾長・弁護士伊藤真は著書「中高生のための憲法教室」の中で次の様に書いている。
  「障がい者等が社会参加しにくいのは、平均男子を想定して社会の仕組みを作っていたからなのであって、その様な社会構造(バリア)自体を排除する権利を障がい者は持っていると考えるべきなのです」。


 

  以 上