憲法が市民に浸透しない理由
憲法とは「国家権力を制限して、人権を保障するもの」。この命題が日本国憲法制定されて71年余り、未だに根付かない不思議さ。その理由と解決策を探ってみました。国家権力に嘘あり、隠蔽あり、知的批判しても役に立たない現況です。それでもなお市民に憲法を学習しようとする機運が出てこない不思議さ。市民は一体どの様な社会を目指そうとしているのでしょうか。
理由について
まず、明治時代に遡る必要があると考えます。一言で言えば、明治憲法制定と市民との“ズレ”に始まったと考えています。つまり、市民の行動によって出来たのではなかったこと。日本が憲法を持つ先進国だというアピール効果を狙った側面があったことです。
ドイツの立憲国憲法をベースに制定された明治憲法。西洋的な思想に対して、市民の大部分は農村・山村・漁村に旧来の生活様式を広汎に残していたままでありました(川島武宣著「日本人の法意識」より)。
次に“ズレ”を引きずったまま、第2次世界大戦敗戦。GHQに民主主義の導入を強制されます。憲法制定と国民との“ズレ”が再び生じることになります。
この二度に亘る憲法制定と国民の“ズレ”が憲法が遅々として市民に浸透しない理由と考えています。加えて、“ズレ”から派生する個人主義の不徹底です。自ら考え行動する、という「自律心」がとても薄いことです。
その為、国民は自信を持てず、他人と比べてしか自分を測れなくなっている気がしています。その結果、自分に対する評価がとても気になります。「沈黙は金なり」の傾向を強め、国民は行動する「勇気」をしっかり失い欠けている様に映ります。これは決して好ましい事象ではありません。
テレビ討論会で、憲法をただの「紙切れ」と言い切った防衛幹部がいました。これなどは、“ズレ”を象徴する言動です。判決は、ただの紙切れと言い切る面々も同質です。一般市民に至っては自ずと知れたことでしょう。
だが、明治憲法11条「天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス」、また「ワイマール憲法」を思い出して欲しい。戦争を始める根拠を「紙」が与えたのです。ユダヤ人400万虐殺をやってのけたのも「紙」に根拠を求め実現しました。「紙」の怖さを知るべしです。この事実を忘れてはならないと考えます。
アウシュビッツ強制収容所博物館(ポーランド)を訪問する機会がありました。民主主義の怖さを肌で感じました。収容所4号館入り口に「歴史を記憶しないものは、再び同じ味を味わざるを得ない」と刻まれていました。
市民に憲法を身近に感じて貰う解決策
例えば、市民の日常生活に関わる憲法の「判例」を学ぶことが考えられます。人権のうち特に日常生活に近い事例。例えば、子どもの人権、貧富の格差問題。差別問題等に関わる「判例」です。
使用する教材は「伊藤真の判例シリーズ憲法」が理想と思っています。問題は「学習する型」をどう構築するかです。例えば、通信機器を使用する。意見と理由を述べることは自由。発言者に質問は許すが、批判はダメとか。 とにかく憲法を口で喋ってみる。すると、以外に憲法が身近に感じられるかも知れません。
私は、憲法を根拠に2回の訴訟提起をしました。そのうち一件は本人訴訟。もう一件は「判例時報」(1694号128頁)に掲載されています。どうぞご覧下さい。
以 上